花冷えの朝に、黒子はぶるっと身を震わせた。昨夜の雨で道路傍の桜はもう散り始めている。黒いアスファルトの上は花びらでいっぱいだ。ああ、今度はこちらが満開だと地面を見て思う。
駅に向かうサラリーマンとは逆向きの方向に黒子は早足で歩いて行く。向かう先は近所の小山に建つ神社だ。朝早くからそんなところへ行く人なぞいるわけもなく、目的地に近づくにつれ、通行人は減っていき、小山の前につく頃には黒子ただ一人だけとなっていた。神社へと続く石段はところどころ雑草が目立ち始めている。木立からは鶯に雀の合唱が聴こえる。ようやくあがった雨を喜ぶかのようだ。そのさえずりに耳を傾けながら長い階段をようやく登り切ったところで、紫原の姿がすぐに目に飛び込んできた。賽銭箱の前のきざはしへと無遠慮に、どっかと座りこんでいる。
「おはようございます」
「あ、おはよー黒ちん」
「そんなところに腰掛けてはいけませんよ」
紫原は立ち上がると、気まずそうに笑顔を見せた。
「だって、そこのベンチまだ濡れてるからさ…」
「まあ、立ち話もいいじゃないですか」
二人は大きなオガタマの木の下へと移動した。咲き始めた花の甘い香りが鼻孔につく。
「いい香りですね」
「うん」
「まだ肌寒いですけど、もうすっかり春ですね」
「うん」
「今日は晴れてよかったです」
「うん」
会話はすぐに打ち切られる。紫原は言葉を交わす気はないのだろうか。先ほどから地面ばかりをじっと見つめている。では、なぜ彼は自分を呼び出したのだろうと黒子は訝しんだ。
連絡をもらったのは一昨日の夜だった。春休み、三日間だけ東京に戻ってきていると紫原からメールが来たのだ。話したいことがあるから、朝10時にこちらの神社で待っているとだけ書いてあった。
会話の一方通行に業を煮やした黒子は思い切って切り出した。
「紫原くん、あの、それで、本日はどういったご用件でしょう?」
少しの沈黙のあと、紫原は黒子と目を合わせた。長い前髪から真剣な眼差しが透けて見えた。
「あのねえ、今まで、どういう風に言えばいいのか、ずっと考えてたんだけど、思いつかないんだよね。考えれば考えるほど言葉は逃げていくし…」
黒子はよくわからないまま相槌を打った。紫原は前髪を軽くかきあげると、じっと黒子の目を見た。
「だから、簡単に言うことにした。黒ちん…中2のときから好きだよ。友達としてではなくて…愛してる」
紫原の真っ赤になった顔が、彼が本気であることを示していた。その手には汗がにじんでいるに違いない、ぎゅっと握られている。
「どうしてでしょう…」
まるで数学の答えでもきくかのように黒子は問うた。突然の告白に驚くわけでも、笑うわけでもなく、只々冷静に。
「僕のことなんか、どうして好きになったんでしょう?」
まるで他人事のようなその態度に紫原はカチンときた。
人が清水の舞台から飛び降りる気で、一世一代の大博打に売って出たというのに、なに?その態度は?せめてもう少し驚いたら?なんなら気味悪がったら?ゲイだよ?ホモだよ?オレは!
その思いは棘のある言葉に変わって、口から出た。
「俺だって不思議だよ、黒ちんみたいなチビでしかも小うるさい男好きになる予定なかったんだから」
「そういう発言は感心しませんね、頭の程度が知れてしまいますよ」
間髪入れずに返答した黒子を見て、紫原は目を丸くしたかと思うと、口の端をあげ、ニヤニヤと笑いはじめた。
「そう!…黒ちんのさ、そういうとこにオレ、痺れちゃったんだよね」
「はい?」
「ふふ…言葉では上手くいえないけどさ。とにかく、オレに突っかかってくるのは黒ちんぐらいだってこと…」
紫原は大きな手で黒子の左肩を強く掴んだ。腰をおとして耳元で囁く。
「だから、惚れちゃった」
かかった息がくすぐったかったのか黒子は身体を少し震わせた。紫原は顔を放し、黒子の顔をまじまじと眺める。黒子は眉ひとつ動かさない。が、その顔はほんのりと紅く染まっていた。
「あのさ、今日は朝からありがと、これあげる」
紫原はパーカーのポケットからチョコレート菓子を差し出したが、黒子はそれを受け取ろうとしない。
「安心して、いい返事は期待してないよ。ただいい加減吐き出してすっきりしたかっただけだから。ごめん」
そう言い紫原は菓子を無理やり黒子に握らせた。そして、くるっと踵を返すと、そのまま走って鳥居をくぐり、階段を降りていった。黒子はその姿が見えなくなると、泥が付くのも構わずにヘタとその場に座り込んでしまった。腰に、膝に、力が入らなかった。掴まれた肩はジンジン痛み、吐息がかかった右耳はひどく熱い。その耳を冷たい手で抑える。彼は紫原が自分に与えた衝撃の大きさに驚いていた。
でも何故ここまで動揺したのだろう?友人が同性愛者だったから?自分に好意をもった始めての相手が男だったから?どちらも要因ではあろうが、決定打ではない気がする。だって、そんな些末なことにショックを受けるほど自分は素直でも無邪気でもない。
あまり認めたくはないが、自分はきっと嬉しかったのだ、あの告白が。ああ、喜びこそがこの痴態の原因だ。そう気づいた時、湿った土の上に思わず溜息が漏れた。
「恋は思案の帆掛け舟、どこの港へ着くのやら…」
2013.05.09